宗像市葉山クリニックの撫中です。本日、父の命日です。生前、1年に1-2回くらいしか直接会う機会はありませんでした。15歳で下宿生活に入り、以降は同じような頻度でしか会うことがありませんでした。今、亡くなって3年目ですが、父は私の記憶のなかで、笑ったり、しゃべったり、動いたりしています。直接会うこと、話すことは叶いません。しかし、生前も会えない時間のほうが長かったわけで、私自身の心持は変わらないといえば、変わらないのかもしれません。ずっと時間を一緒にすごした人ほど、その時間・空間の空いた部分を寂しいと感じると思います。今日は母に電話したいと思います。