宗像市葉山クリニックの撫中です。表題は「魂が再び肉体に入ること」を指しています。小説や映画などで、生まれ変わり、魂の入れ替わりが題材になってきました。在りもしないことではないから、人々は想像し、物語を綴るのかもしれません。生まれ変わりは別の肉体に、過去に存在した精神(人格)が宿るというのが通常です。ほぼ人間の間でのやり取りですが、ときには、他の動物や植物、風景にそれを重ねることもあります。実際、人格(意識)と肉体が入れ替わるわけですから、それぞれが分離することが必要です。でもよく考えると、毎日、わたしたちは、寝ています。この時、意識はありません。肉体のなかに潜んでいるのか、分離して、非物質世界に存在するのか不明です。分離していたとしても目覚めと同時に、再びもとの肉体に戻ってきます。厳密には、もとの肉体ではなく、複数個の細胞が新陳代謝により、入れ替わった肉体です。こう考えると、わたしたちは毎日、生まれ変わっているのかもしれません。長い年月のなかで、肉体は経時的変化(老い)により、変遷するものの、目覚めとともに帰ってくる意識はそれまでの過去のものであって、決して未来の意識が返ってくることは現実にはありません。換言すると、「老い」も生まれ変わりと思えば、毎朝、違う自分に出会えて新鮮かもしれません。