宗像市葉山クリニックの撫中です。人間には寿命があります。言い換えれば、必ず死が訪れるということです。しかし、日常元気な時には、死を意識して生活する人は稀有だと思います。そんな中でも医療従事者は一般の方よりも日常的に死を意識する現場です。そして根本的に、医療はやがて死を迎えたときに「敗北」するわけです。つまり、 最初から、死は自明の事実であり、永遠に死なないこと、を目的としてはいません。しかし、病気になった時には、適切な医療を提供して、当面の死を回避しようと努力します。医療は寿命を受容したうえでそれを全うさせるため、行うものであると換言できるかもしれません。だから、寿命より、かなり手前での病気に対しては積極的に当面の完治を目指しますが、寿命近くでは、そうでないこともしばしばあります。永遠の生は今のところ実現しておらず、医療は寿命までの間の容態の悪さを治すこと、生きている間は元気であること、になんとか役立っているのです。不思議なことに死を迎えるとき、患者、家族から「感謝」されることが稀にあります。治して感謝されることはあっても、死んで感謝されることはない、もしそんなことがあるとしたら、それは医師にとって幸せなことなのかもしれません。