心体に異常を来たし、普段の生活を営めない、こんなときに「病(やまい)」という言葉を当てる。おそらく心理的には、「喪失感」が存在し、憂鬱な気持ちになる。
「病気」の認知・受け入れの過程では、そうした感情の変化は大きいと考える。しかし、感情は一時的なもので、その後「人」は考える。「病」について思考する。それが、ストレスとなる。そのストレスは、ときにもともとの「病」よりも「人」を支配し、振り回す。このとき、「自分」をコントロールするのが、「理性」であり、「客観的判断」である。だが、常に「人」は感情と理性の間を行き来するもので、それこそ「人間らしさ」と言える。その人の価値、人間力が威力を発揮するのは、こういうときである。「頑張れ」そして「頑張りすぎるな」。